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6. 新本社工場新築

■昭和45年
10俵の生産高からスタートした「もち事業」はその後順調な伸びをみせ、生産強化のため本格的なライン設備が必要となる。
また、山間部向けの清涼飲料事業は大手メーカーに圧倒され陰りがみえ、将来的には難しいと判断。工場は清涼飲料事業に終止符を打ち、機械設備をすべて撤去し、時間25俵のもち製造設備を有する餅工場に変身した。更に同時期に乾麺工場をもち工場脇に新設し、乾麺事業(「磯割りそば」、「十日町そば」のブランドで販売)にも参入した。
昭和46年から48年にかけて、もち事業はさらに拡大し、後の高崎食品工場建設へとつながっていく。
それと同時に生産体制に併せた雇用体制も必要となった。餅は受注生産であり季節商品であった。そのため通年の雇用を確保するために計画生産が見込める冷凍の笹団子、餅和菓子の製造に着手した。

こうした経営理念にもとづく通年雇用は社外の評価を得た。こうして餅に加えて枝豆から始まった冷凍食品は、生そば、ゆでめん、笹団子、餅和菓子と増えていく。配送センター、卸の移転後の昭和48年には、新本社工場の建設に着手する。

     昭和45年/社員旅行(右から6人目 現社長)


     昭和49年/新川屋ビル 完成広告

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